2015年9月27日日曜日

麻レポーターの『絶対の今』スタッフインタビュー
エミリー☆シュテファン

エミリーさん、今回はアートだけでなく禅のことも考える貴重な機会ですね。まずは各作品にコメントください。
テレザ・ステリコヴァ:
4世代にわたる女性同士(彼女と彼女の母と祖母と娘)は、4人でひとつのシェアをした時、次の世代へヴィジョンはどう受け継がれるのか…と考え中。

河合政之:
作品から発せられる反復不可能なノイズは私達の前を通過して、じゃあどこへ向かっているのか。行き先は?と考え中。

ガイ・シャーウィン:
秒針が動き和紙がまわる、和紙がまわり太陽の光が動く。和紙の角度によって光は消えて、また戻ってくる。変化が不変、結局はどっちなんだろう、どっちでもないんだろうなと考え中。

ジョージ・バーバー:
核弾頭をつんだ潜水艦の中でトランス状態になるって超危険な感じがするけど、個人がそこらへんの道ばたでトランスに陥るのだって、同じくらい…と考え中。

赤塚りえ子:
仏壇の中で絶え間なく踊り続ける女性のヴィジョンは、今迄見てきたどんな仏像よりも仏様っぽい、と感じながら考え中。

Kaz:
ミラーボールのキラメキに散りばめられた映像は私達の周りを覆い囲んで、それでも新幹線は目的地へと走り続ける。その光景を見ているこちらの時間もミラーボールの中に越境して、もしかして時間は流れるものでないのかも?と考え中。

心を整える修行のひとつで座禅があるけど、エミリーちゃんは時間に追われる毎日何で心を整えてる?:
ユーチューバーの動画を見る。

展覧会おすすめポイントを教えてください!:
絶対に、答えも正解も見つかり得ない。だけど時間について考えてみる。それらは全て「考え中」で未解決のまま、アツコバルーを後にすることになると思う。現実の中で、また時間の波にザブザブと揉まれた時、ふと、何かの欠片が分かったような「気がする」かも。…気がするだけかも。
自分の中に存在する「絶対の今」を、アツコバルーの中で過ごしてみてください。

ありがとうございました!

さて、最後は、シュテファンさん。スタッフインタビュー締めくくりお願いします!
テレザ・ステリコヴァ:
男を中心とする社会を背景としつつ、そこから一歩離れたところに身を置いて、眼差しの持ち主という主体位置を女として再領有し、女であることの系譜学、女としての歴史の可能性を、味覚や触覚にも訴える映像を通じて追求するアーティストに、わたしはとても魅了された。

河合政之:
人間にとって意味をもつように組み立てられている音、画素の秩序を一時的に解体し、特定の音を邪魔だと認識するのはなぜなのか、音の別の秩序の創造は可能なのかなどのような問いをわたしにぶつけ、出される音の偶発性をもって秩序というものの恣意性を嘲笑う、非常に興味深いインスタレーション。

ガイ・シャーウィン:
一枚の回転する紙と断片的にそれに投射される光。陰と陽という語をも連想されるが、非常にシンプルであるこのフィルム・インスタレーションは、かけ離れて存在する二項対立と思われがちなものが、実は、表裏一体になっていることに改めて人を気づかせ、何をもってそれを「別けられた」のか、そもそもなんのために「別けよう」とするのかなど、さまざまな疑問を抱かせる。

ジョージ・バーバー:
なかなかヘンテコリンで視覚的に非常に刺激的な映像。多岐にわたる映像・パフォーマンスを創る作家なので、彼の他の作品と比べて観るとなお面白い。

赤塚りえ子:
流れてゆく生と一瞬にして永遠の死。静止画の連鎖としての映像と仏壇をもってその関係性を問う、妙な作品である。

Kaz:
真っ直ぐ軌道の上を走りいつか予定地に到着するはずの新幹線の映像が二重に屈折され、果てしなく回転するミラーボールを介して壁に放たれる構造に、「幸せ」をつかもうと型どおりの道しか歩まず、規範化された過去を「個性性溢れる」未来として再生産する現代人の内的矛盾への、皮肉たっぷりの指摘がよみとれる。

シュテファンさん、時間は常に移ろっていくものだけど、あぁ~「今」を止めたい!って思う時ってあったりする?:
ほとんど思わない。時間、テンポラリティーとは一つの普遍的なものではなく、人間の文化的・社会背景、人種、ジェンダー、セクシュアリティーなどによってそれぞれ異なって意味をなし、異なって理解され、異なって生きられるもの、つまり、それぞれの個人において、交叉することが当然ありつつも、必ず同じスピードで同じ方向へと流れるとは限らない。

ありがとうございました!
(完)

2015年9月26日土曜日

麻レポーターの『絶対の今』スタッフインタビュー
なぎさ☆キヨミ


それでは、インタビューをお届けします。トップバッターは店長のなぎささんです。


















なぎささん、「絶対の今」展、盛り上がってますね。まずは各作品にコメントください。

テレザ・ステリコヴァ:
この展覧会、唯一のナチュラル系。とても女性的な作品です。テレザさん本人とおばあさんとお母さん、そして娘の美女4世代シリーズ!癒されます。

河合政之:
アナログノイズで脳内ビビビビビーっ!!なんだけど、だんだんノイズが心地よくなってきます。
不思議。見せ方がとてもかっこいいインスタレーション作品です。

ガイ・シャーウィン:
カタカタとなつかしい音(16mm映写機音)。。。昔、時計など無かった頃人間は太陽の光で生活のリズムを作っていたことを改めて考えてしまった。ゆっくりとした光の動きは長いなぁと思ってしまう。時計なんて捨てたい。(捨てれないけど...)

ジョージ・バーバー:
ブッ飛ぶねえ~。まさにトランス。極限に追い込まれた人間が意識の中に没頭する様子が描かれている。音と映像に立体感があって体に飛び込んできます。面白い。

赤塚りえ子:
サイケデリックでかなり好みの立体作品。何時間でもじぃ~と見ていられる。奥で踊っている赤塚さんのお母様の映像は、まるで私たちが窓からのぞいているかのようで、すぐそこのお部屋にいらっしゃる感じがします。過去の映像なのに。不思議な作品です。

Kaz:
目が回る作品。新幹線の向かう方向とミラーボールの光の方向が逆だから、脳内も二つに分かれそうになる。ひとつの方向に進んで行くはずの時間が崩壊する瞬間。くらくら。

なぎささん、時間の移ろいを体感するヴィデオアートに触れてどうですか?:
「時間」って私が生まれた時からすでに存在していたものだから(あたりまえで)、意識して考えた事無かった。
最初は、ヴィデオ?時間?チンプンカンプンだったけれど、実際に作品を見て体感して少しずつ意識して考えられるようになった気がする。「時間」という概念自体人間が作ったもので、何が正しいかなんて分からないけれど、単純に時間とはただ前に進んでいるものだと勝手に思い込んでいた自分がいた。いろんな時間があり、今、この瞬間が積み重なって時間の移ろいができていく。過去だった時間が今も生きていて未来にもこの瞬間が続いて行くということか?さて、よく分からなくなってきてしまいましたが、考える事は楽しいです。

展覧会おすすめポイントを教えてください!:
おすすめポイントは、難しい事考える前にそれぞれの作家の作品をまず見て感じること。どの作品も個性的で全てヴィデオを使っているので、視覚と聴覚でエンジョイできます。
まず見て感じて、それからぼんやりとjikan towa?時間とは?時間永遠?について考えてみましょう。

ありがとうございました!


きよみさん、真っ暗な会場のアツコバルーはいつもとひと味違った雰囲気でわくわくします。まずは各作品にコメントください。

















テレザ・ステリコヴァ:懐かしい記憶

河合政之:感じにくいもの

ガイ・シャーウィン:永遠

ジョージ・バーバー:妄想、夢の時間

赤塚りえ子:呼び起こしす時間

Kaz:とまることのない時間

「今」を生きることを大事に!と思わせる展覧会ですが、きよみさんが「今」を生きてるなァって感じるときは?:
自分の正体を知りたいという欲求があること。

展覧会おすすめポイントを教えてください!:
飲みながらゆっくりくつろげます。
ただボ~ッと無意識に内に浮かび上がる感覚を感じることで今のなにかを呼び起こしてくれはず!

ありがとうございました!

2015年9月24日木曜日

「絶対の今~なぜ・いま・ZENと映像なのか」麻レポート

みなさんこんにちは、今日は記者をつとめる麻です。
今回ご紹介するのは、ZENと映像と時間をテーマにした「絶対の今」展。(10/11まで!)
アツコバルーの個性濃厚なスタッフさんたちにもインタビューをしましたので、その模様もお届けします。
この展覧会は「絶対の今」を考えてみる展覧会です。ん?「絶対の今」ってどういうことでしょうか?


時間というのは常に動いている無常なもの。
そして何か動いているということは、何か止まっているものがあるはずなのです。
その止まっているものとは何なのか?
その止まっているものは、時間を構築するひとつひとつの「瞬間」です。
移ろい行く時間を解体して考えてみると、時間は「静止画」のような「瞬間の連続」なのです。
その瞬間を「永遠」ととらえ、そしてそれを「絶対の今」と言ったのが、日本の禅文化を世界に知らしめた仏教学者の鈴木大拙です。

ちょっと図解してみましょう!こういうことです。
「絶対の今」展はヴィデオアートによって時間を考えるという展覧会。
そういえば映像だって、たくさんの静止画を並べることによって、動きを表すメディアですよね。

とにかく「今」なんです。
わたしたちが生きる日々は「今」という絶対的な永遠、または静止画の連続です。

資本主義に大事なのは「今」にない夢を追わせること。けれども、そればっかり追っていると肝心の「今」からズレてきちゃうこともある。「今」に立ち戻って、各々の「今」を直感的にみてほしい!というのが今回の「絶対の今」展なのです。

社会に起こる全てのことにおいて「今」を全力で感じ思考することがいかに大事か、体感する場だなあと思っています。
「今」に立つ自分がどう考えるか。
  

それでは展示作品を少しご紹介!

テレザ・ステリコヴァ(チェコ出身で在英生活が長く、感(知)覚を探求する映像作家)
自分を含めた四世代にわたる家族の記憶とそこに流れる時間を、感覚に訴えながら魅せるフィルム作品。美しい映像と美しい女性と美しい伝統衣装とおいしそうなケーキに引き込まれます。

河合政之(国内外で活躍するヴィデオ・アーティスト)
ギャラリー開場中、再生され続けているヴィデオテープは、時間が経つにつれて劣化してゆきます。その様子が3台のモニターにそれぞれに反映されている作品であり、時間を感じさせる作品です。コードやモニターなど、配置の見せ方にも注目です。

ガイ・シャーウィン(イギリスの実験映画界を代表する映像作家)
日光が空間を移動していく映像が、和紙に投影されています。そして、その和紙がぶら下がっているのは、時計の秒針。つまり、太陽と時計というふたつの時間の流れを含んでいる作品です。映写機って見ているだけで痺れます。フィルムがガガガガガと廻る音も心地いい。

ジョージ・バーバー(80年代の英国発祥のスクラッチ・ヴィデオのパイオニア)
核弾頭を搭載した潜水艦を指揮する船長がシャーマニズムに傾倒し、トランス状態に陥ってゆく様子を見せるフィルム作品。

赤塚りえ子(様々なメディアを使用して内なる風景を描出する作家)
ブラックライトで照らされるサイケデリックな仏壇作品。こんな仏壇見たことない!仏壇の外の世界には時間があって、仏壇の中の世界には時間がないんだろうか?その境界線を考えさせる作品です。

KAZ(時間を体験型作品等を通して探求する作家)
脳内思考や意識を「外す」体感型インスタレーション。新幹線からの車窓風景が空間いっぱいにぐるぐるまわり、平衡感覚がどんどん失われていく。目で判断することがどんどんできなくなり、全身で作品と対峙する感覚に。頭で考えるよりもまず、体が反応する作品です。


これら6つの作品、そして「時間」について、アツコバルースタッフのみなさんは、果たしてどう対峙しているのでしょうか?
次回へ続く。