2016年1月24日日曜日

渡辺眸 写真展 旅の扉〜猿•天竺〜 最終日! 
















さて、いよいよ本日18時で渡辺眸 写真展『旅の扉〜猿・天竺〜』終了致します!
駆け込み大歓迎です。
素晴らしい展示なので、是非お見逃しのないように!!
お待ちしております。

☆スタッフコメント☆

なぎさ 
渡辺眸さんの写真はとても愛のある作品だと思う。被写体との距離。目線の高さ。生活の中での一枚。その土地、人、動物と一緒に生きている感じがとても伝わってくる。
そしてなによりも渡辺さんは不思議ちゃん。
それは、インドネパールで彼女が思考体験(神秘体験、瞑想、宇宙との交信)をしたからこそ出せるオーラだと思う。
今回の展示は、生きてる強さと神秘が入り交じったとても気持ちの良い空間になったと思う。
渡辺眸の写真力=人間力=魅力。あぁ、ワインを飲みながらこの空間で酔いしれたいぃ….。

きよみ 
私がアツコバルーで心奪われる作品の共通するところはみなさん 
シンプル=パワフル
自分のめざすところでもあるのですが、眸さんの作品からもそれを強く感じて幸せな憧れな空間を満喫しています。
あとスタッフの誰よりもサル顔だなと気づいてしまい笑さる年で良かったと思いました??
これからのアツコバルーでは世界平和を目標にとりくんでいきたいと思っているキヨミでした。

シュテファン 
今回の展示を観て一番驚いたのは、渡辺眸の写真表現のヴァラエティ。渡辺眸ときくと、安田講堂の写真。1960年代新宿で撮った写真を思い浮かべる人が多いだろうし、わたしもそうだったが、今度の展示では非常に写実性のあるものの他に、1930年代の芸術写真、印象派を彷彿とさせる作品も何点かあって、展示空間に神秘的な雰囲気を漂わせていた。これを「矛盾」とか「一貫性のなさ」とかいう人もいるかもしれないが、わたしには両方とも説得力のあるものにみえ、一つの作品世界として、男中心の(写真)世界を生きるときに女性として要求されるフレクシビリティー、そして何よりも渡辺眸の才能の豊かさを語ってくれるように思う。

エミリー 
アツコバルーにぞろっと現れた窓の数々から、インドと猿の生々しさを覗く。動物園に行くのは檻の中の動物を見る為だ。
それらと自ら向き合うのは、自分がまだかろうじて野生の中に生きていると、心のどこかで錯覚をしたい故なのかも。


















2016年1月23日土曜日

渡辺眸×飯沢耕太郎 トークショー報告第二弾!

今年は申年ということも少し関係したりして、渡辺さんがインド、ネパール、日本で出会った猿の写真も多数展示しました。
表情豊かな猿に興味しんしん、ふむふむ、なんて思っているとつい忘れてしまうのですが、近距離でこれだけの表情を渡辺さんはとらえたという事実。それくらい猿と渡辺さんは近く在ったということ。

「猿と人間の世界はつながっている」

渡辺さんは、ネパールのスワヤンブ寺院(いわゆるモンキーテンプル)の近くで部屋を借りていたそう。
窓から侵入ではなく、礼儀正しく!?ドアから勝手に猿が部屋に入ってくる事も多発する土地。ピーナッツを持って歩けば、猿に囲まれること必至。猿に取り囲まれても全く恐怖感なんてなかったそうだ。モンキーテンプルでは猿と人間の間にフェンスはない。その土地に渡辺さんが在る瞬間から、もうすでに猿とつながっていたのだ。
渡辺さんは、猿が日本にもいると知ったから帰国したと言っても過言ではない。猿がいなかったら、きっと日本には帰ってこなかった。

「渡辺さんの猿は動物としての猿の写真ではない。アマのひとは猿を擬人化しがちで。例えば温泉につかった猿の写真に人間に在り方を重ねたりするんですよね。動物と人間が同じに見える。渡辺さんの写真の中では、人間も動物もものも風景も境界線が融合する。シャッターをきる前後も映りこんでいるというか。」
と飯沢さん。

「飯沢さん=猿」

飯沢さんの目とこころを惹き付けた一枚の猿の写真がある。
雲海を下に、そびえるヒマラヤ山脈が背景にのぞき、その前に堂々と猿3匹(+1匹の抱えられた赤ちゃん猿)が鎮座している写真だ。モンキーテンプルでおさめられた一枚。その写真に出会ったのはもう数十年前にもなるようだけれど、今も変わらず飯沢さんは、そこに映るある一匹と通じている。



















「不思議な気持ちになったんです。人間ってもともと猿ですし、僕も猿属からわかれた子孫です。だからというわけではなく、渡辺さんの猿の写真を見ていると、猿と自分の間につながりを感じることがあるんです。繋がりが強い猿と弱い猿がいるように感じる。この写真においては、真ん中の猿が自分に近いという確信が強くあったんですよ。落ち着きのなさ、挙動不審のキョロキョロした感じ(笑)。これ、自分だな、っていうくらいの親近感!自分で思ってもみなかった感覚を引出される一枚なんです。」





















飯沢さんがおっしゃったように、写真は忘れていた事、そして無意識に体験したことをからだの奥底から、ひょいっといきなり引っ張りだしてくれることがある。それってものすごく刺激的。写真を観るたのしさのひとつってこれだよな!と膝を打ちました。

写真の中に埋没し、展示された壁をつきぬけて「あちら側」にトリップする楽しみもある。
それと同時に、自分の中に埋没し、こころまでもぐり込み「こちら側」にトリップする楽しみもある。
それとそれと同時に、写真家が「今だ」とシャッターをきった瞬間を永遠に追体験できるのも最高な楽しみだ。
あぁ、写真鑑賞ってこれだからスキ。


第三弾ではお馴染みアツコバルースタッフからのコメントで報告ブログ完!といたします!
つづく!

(麻)




2016年1月22日金曜日

渡辺眸 写真展『旅の扉 ~猿・天竺~』

1月16日(土)に渡辺眸さんと飯沢耕太郎さんのトークショーを開催しました。
耳を傾けているうちに身体は浮遊しはじめ、渡辺さんが旅した道中にワープしてしまうかのようで。おふたりの声音の心地よさといったら…、あぁ、インド、ネパールへきもちよくトリップ…。


さて、こんなことを語っていただきました。2回にわたってご報告です。

















「激動の新宿から天竺へ」 

社会全体が激動の時代であった60~70年代に、個人としてビビッドに社会と向き合った渡辺眸さん。
60年代、新宿の街やテキ屋にカメラを向けるさなか、東大全共闘ムーヴメントに出会い、当時の緊張高まる物々しい熱気を映した写真家です。唯一、バリケード内での撮影を許可されたのが渡辺眸さんだったというからスゴイ。
そんな渡辺さんが新宿の次に足を向けたのがインドだった。70年代に入って、なぜいきなりインドとネパールに?

「当時、欧米志向がまったくなく、とにかくインドに呼ばれたという感じ。スーッと、まるで大阪にでも向かうような感じでインドに行ったね、とまわりから言われました。なんの知識もなく行って、はじめはやっぱりショックでしたよ。カメラは持っていたけど、実は1年半ほど撮れなかったんです。」

当時インドにはニコンがない時代で、キャノンやミノルタだと売れたのだそう。売れるものを売って唯一手元に残ったカメラで撮影を続けた渡辺さん。フィルムを鞄に入れっ放しにしたながーい旅の道中、気付かぬうちにフィルムにはカビが生えたりもしていたのだとか。カビが影響して現れたプリントは、荒々しくじゃりじゃりしたようなノイズがあり、なんだか旅の写真ならではと思わせる。旅の道中に刻まれた記憶、時間、空気、温度、匂い…そんなものたちが、写真を通して、ぶわっと土埃舞い上がるかのように身体を包むのです。

「その後<宇宙復帰>はできたけど、<社会復帰>ができなくて、実は二回目にインドに行ったときの方が写真は撮れました。暮らしながらの撮影でした。部屋を借りてストーブたいて、チャイつくったり、パンつくったりしてました。数千年変わっていないこともあれば、10年で変わってしまう光景もある。もう10年くらい行ってないから、インドに行きたいですね。次に行くとしたらケララに行きたい。ネパールにも行ってヒマラヤを14日間歩いた事もありますが、そういえば、ネパール語で話しかけられるほど土地に溶け込んでいました。」

すかさず飯沢さんはこうつっこみます。
「あの頃みんなインド行ってましたよね。インド帰りはみんな宇宙イッちゃってるじゃんといった感じで、髪も長くて不信感があったなぁ(笑)。

「時間感覚となつかしさ」

飯沢さんがみた渡辺さんの写真とはどんなものなのでしょう?

「旅の写真じゃないと思いました。旅の写真っていうと、うつろいやすくてかすかな写真になりがちだけれど、渡辺さんの写真はそうではない。風景が長いスパンのなかでとらえられていると思う。渡辺さんの作品の中には風景や人や建物だけでなく、動物もいますよね。動物もまるで原始時代からいるような。まるで彫刻みたいで時間が止まっているような感覚を覚える。移ろうようではなく永遠にそこにいるような見え方なんですよ。」

「僕はインド行った事ないけど、ところどころ懐かしさを感じる。どっかでみたことあるなあっていう。例えば傘さしてる男の大判の写真。これ、大竹昭子さんも反応していた一枚だけれど、生きてるってことが伝わる写真ですよね。こういう風景は今じゃ日本でなかなか体験できないわけだけど、昔は浮浪者がこっちをじっと見ているような光景はあったものです。」

男と同じ目の高さでシャッターがきられたこの一枚。見も知らぬ男だけれど妙になつかしい。
ニッと歯をだして笑うカラッと湿度のないかんじに親近感を抱いたりもする。物乞いなんだろうけれど、なんだかこの男が足をつけた地面から、生きる熱風がじりじりとあがってくるかのよう。

「見知らぬ記憶や経験がひゅっと写真を介してつながることってある。それが眸さんの写真には多い。それが多い写真がいい写真だと思うんですよ。もし眸さんが欧米に向かっていたらこういう郷愁の感じはないんじゃないかな。アジアという大きな枠組みでの生きる在り方や感受性を考えると、日本人とのつながりはやっぱりあると思いますね」

文化や言葉は違えど、アジア的な混沌は根底でつながっているのかもしれない。
いやいや、かもしれない、ではなく、きっとそこが相互感受の可能性を孕む強い礎なのだと思う。だからなつかしさが匂ってくる。














つづく!

(麻)

2016年1月11日月曜日

明けましておめでとうございます!

明けましておめでとうございます!
今年のアツコバルーもガンガン行きますよ〜!
スタッフ一同どうぞよろしくお願い致します!!

キヨミ、エミリ、シュテファン、アサ、ナギサ




















2016年のアツコバルー第一弾は、1月8日(金)から24日(日)まで


















写真家渡辺眸さんが1970年代から90年代にかけて何度も旅をしたインド・ネパールで出会った風景や人、動物の写真に加え、ネパールでの猿との出会いをきっかけに特別に撮り始めた猿シリーズも展示しています。
旅の写真44点(1997年にプリントした大判作品 13点、70年代にプリントしたヴィンテージ作品 19点に70年代にプリントしたモダンプリントのカラー作品 12点)+猿の写真20点の合計64点の大変見応えのある展示となっています!!


渡辺さんは、旅に出る前は、60年代後半の熱い新宿の町やテキ屋(普通は入れないような襲名式まで!)、学生運動の代名詞東大安田講堂の内側を撮影したり激しい世界(時代)を撮っていました。
カメラを持つ女性がとても少なかった時代に彼女がファインダーを通して見た世界とは。
インド・ネパールという新宿とは全く違う地で、彼女が感じた世界とは。


今週1月16日(土) 19時からは写真評論家の飯沢耕太郎さんをゲストに迎えトークショーを開催いたします。
◉1月16日(土) 19:00〜21:00 渡辺眸×飯沢耕太郎 トークショー ¥1,000 (1drink付) 予約不要

1月21日(木)19時からは極地建築家 村上祐資さんのネパール大震災後の支援活動報告会も開催いたします。
◉1月21日(木) 19:00〜21:00 ネパール・ダレデモドーム 報告会 ¥1,000(1drink付)  ご予約はこちら


お見逃しなく!!

(なぎさ)

2015年11月13日金曜日

トーク!初沢亜利×いとうせいこう!開催されたの巻

ぼんじゅ〜スタッフのエミリーです。
ただ今絶賛!
初沢亜利写真展
「周縁からの眼差し—東北・北朝鮮・沖縄 報告」
が開催Now!Wow!

え〜先日は、
トークイベント
初沢亜利×いとうせいこう
が、大盛況のなか、催されました。

その模様♨︎






ここでしか聞けない話題に満ちた
めくるめく展開してゆくトーク。
うかうかしてると置いてかれてしまう
ノンストップ、なんて濃厚な2時間半!
刺激的でした…
トークを聞く前と聞いた後では、
心なしか、
アツコバルーを出た途端に
目に飛び込んでくる
いつも通りの渋谷の街も
う〜ん…違うように感じてしまったり。
とかモニョモニョ考える余裕も無く、
まだ頭の中の整理ができておりまへん!
普段、どれだけ既成概念にとらわれた視点から
物事を考えてしまっているか、
ハッと気づかされたはいいものの、
今度は戸惑いが止まらない始末
でもそのくらい、
いろいろと自分の頭で考えながら
日々を過ごして行くと
1日1日の過ぎ去りし方も
変わってくるかもしれませんねえ…!

初沢さんの展示は11月22日までとなっております。
あ?!あと9日?!
是非ともお見逃しなくー!
どんみしっ

エミリー

2015年10月29日木曜日

アツアツ♨︎アツコバルー!

ご無沙汰・DAY・Night・フィーバー!
松濤のトラボルタこと、スタッフのエミリーです♨︎
芸術の秋、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
深まってますねぇ…秋。

私は今日、西友の中でひたすらダウンジャケットを探してまわる夢を見たのですが、目を覚ますと、いつ着替えたのか、パジャマの上からダウンジャケットを羽織って寝ていた自分に気づき、なんとも巨大な秋を感じましたね。

さて!
アツコバルーでは、
「パワースポット展」、
そして
「女体愛好家 七菜乃による七菜乃展」
が開催されました。
それぞれ会期は5日間と4日間。
合計9日間…
非常〜〜ぅに沢山のお客様にご来場頂き、ハイパービジーな…
喜びに満ち溢れた
怒涛の日々でございました。。!
パワースポット展に出展された
ひらのりょうさん、ぬQさん、最後の手段さん
そして七菜乃展の七菜乃さん、
本当にお疲れ様でございました!!!



そしてその間、パリとロンドンでは、
オーナーのアツコさんと、
アツコバルー店長のなぎささんが、
世界を股にかけながら、
アートフェアにてアッツアツな日々を!
過ごされたそうです!



この模様は、なぎささんより
後日ブログへアップされるかと…っ
乞うご期待です♨︎♨︎♨︎

また、今週末からは、こちらが始まります!↓↓↓
初沢亜利 写真展
「周縁からの眼差し-東北・北朝鮮・沖縄 報告」
10月31日(土)〜11月22日(日)
水〜土曜 14時-21時
日・月曜 11時-18時
火曜定休
¥500(1drink付)
初日である31日19時〜21時には
オープニングパーティがあります。
どなたでも、お気軽にお越しくださいませ!







ではー!アツコバルーでお会いしましょう!
寒暖差の激しいこの頃、
みなさん風邪にはお気をつけくださいね。

エミリー

2015年9月27日日曜日

麻レポーターの『絶対の今』スタッフインタビュー
エミリー☆シュテファン

エミリーさん、今回はアートだけでなく禅のことも考える貴重な機会ですね。まずは各作品にコメントください。
テレザ・ステリコヴァ:
4世代にわたる女性同士(彼女と彼女の母と祖母と娘)は、4人でひとつのシェアをした時、次の世代へヴィジョンはどう受け継がれるのか…と考え中。

河合政之:
作品から発せられる反復不可能なノイズは私達の前を通過して、じゃあどこへ向かっているのか。行き先は?と考え中。

ガイ・シャーウィン:
秒針が動き和紙がまわる、和紙がまわり太陽の光が動く。和紙の角度によって光は消えて、また戻ってくる。変化が不変、結局はどっちなんだろう、どっちでもないんだろうなと考え中。

ジョージ・バーバー:
核弾頭をつんだ潜水艦の中でトランス状態になるって超危険な感じがするけど、個人がそこらへんの道ばたでトランスに陥るのだって、同じくらい…と考え中。

赤塚りえ子:
仏壇の中で絶え間なく踊り続ける女性のヴィジョンは、今迄見てきたどんな仏像よりも仏様っぽい、と感じながら考え中。

Kaz:
ミラーボールのキラメキに散りばめられた映像は私達の周りを覆い囲んで、それでも新幹線は目的地へと走り続ける。その光景を見ているこちらの時間もミラーボールの中に越境して、もしかして時間は流れるものでないのかも?と考え中。

心を整える修行のひとつで座禅があるけど、エミリーちゃんは時間に追われる毎日何で心を整えてる?:
ユーチューバーの動画を見る。

展覧会おすすめポイントを教えてください!:
絶対に、答えも正解も見つかり得ない。だけど時間について考えてみる。それらは全て「考え中」で未解決のまま、アツコバルーを後にすることになると思う。現実の中で、また時間の波にザブザブと揉まれた時、ふと、何かの欠片が分かったような「気がする」かも。…気がするだけかも。
自分の中に存在する「絶対の今」を、アツコバルーの中で過ごしてみてください。

ありがとうございました!

さて、最後は、シュテファンさん。スタッフインタビュー締めくくりお願いします!
テレザ・ステリコヴァ:
男を中心とする社会を背景としつつ、そこから一歩離れたところに身を置いて、眼差しの持ち主という主体位置を女として再領有し、女であることの系譜学、女としての歴史の可能性を、味覚や触覚にも訴える映像を通じて追求するアーティストに、わたしはとても魅了された。

河合政之:
人間にとって意味をもつように組み立てられている音、画素の秩序を一時的に解体し、特定の音を邪魔だと認識するのはなぜなのか、音の別の秩序の創造は可能なのかなどのような問いをわたしにぶつけ、出される音の偶発性をもって秩序というものの恣意性を嘲笑う、非常に興味深いインスタレーション。

ガイ・シャーウィン:
一枚の回転する紙と断片的にそれに投射される光。陰と陽という語をも連想されるが、非常にシンプルであるこのフィルム・インスタレーションは、かけ離れて存在する二項対立と思われがちなものが、実は、表裏一体になっていることに改めて人を気づかせ、何をもってそれを「別けられた」のか、そもそもなんのために「別けよう」とするのかなど、さまざまな疑問を抱かせる。

ジョージ・バーバー:
なかなかヘンテコリンで視覚的に非常に刺激的な映像。多岐にわたる映像・パフォーマンスを創る作家なので、彼の他の作品と比べて観るとなお面白い。

赤塚りえ子:
流れてゆく生と一瞬にして永遠の死。静止画の連鎖としての映像と仏壇をもってその関係性を問う、妙な作品である。

Kaz:
真っ直ぐ軌道の上を走りいつか予定地に到着するはずの新幹線の映像が二重に屈折され、果てしなく回転するミラーボールを介して壁に放たれる構造に、「幸せ」をつかもうと型どおりの道しか歩まず、規範化された過去を「個性性溢れる」未来として再生産する現代人の内的矛盾への、皮肉たっぷりの指摘がよみとれる。

シュテファンさん、時間は常に移ろっていくものだけど、あぁ~「今」を止めたい!って思う時ってあったりする?:
ほとんど思わない。時間、テンポラリティーとは一つの普遍的なものではなく、人間の文化的・社会背景、人種、ジェンダー、セクシュアリティーなどによってそれぞれ異なって意味をなし、異なって理解され、異なって生きられるもの、つまり、それぞれの個人において、交叉することが当然ありつつも、必ず同じスピードで同じ方向へと流れるとは限らない。

ありがとうございました!
(完)